日本陸上界に新たな風を巻き起こしている清水空跳(そらと)選手。
中学時代から頭角を現し、高校入学後は日本記録を更新するなど、目覚ましい活躍を見せています。
この記事では、清水空跳選手の中学から高校にかけての驚異的な成長と、その陸上経歴や記録について詳しくリサーチ。
難病を乗り越え、世界を目指す若きスプリンターの軌跡をご紹介しましょう。
清水空跳のプロフィールと陸上競技との出会い

それでは、清水空跳選手のプロフィールを見てみましょう。
清水空跳(しみずそらと)選手は、2009年2月8日生まれの16歳。
石川県金沢市出身で、現在は星稜高等学校2年生です。
身長164cm、体重56kgと短距離選手としては小柄な体格ですが、その走りは圧巻の一言に尽きます。
空跳選手と陸上競技の出会いは小学4年生の時、地元の小学生陸上教室で本格的に陸上を始めたのです。

実は空跳選手、陸上一家に生まれた才能の持ち主なんですよ。



父親の清水正雄さんは走り高跳びで国体4位、母親の清水絵美さんは
100メートル障害で日本選手権や国体に出場、姉・優奈さんも400メートル障害で全国大会出場という経歴の持ち主なんです。
「空跳」という名前には、「空に向かって自分の足で跳ぶ」という意味が込められており、両親の陸上への熱い思いが感じられます。
正雄さんが跳躍選手だったことから「跳」の字を使い、「自分の足で羽ばたいてほしい」との願いを込めて「空跳(そらと)」と名付けられた。
中学時代の清水空跳 難病克服と驚異的な記録
空跳選手は中学時代を金沢市立長田中学校で過ごしました。
ところが、中学1年生の春、突如として指定難病「重症筋無力症」を発症。
筋力低下やまぶたの下垂、複視などの症状に苦しみながらも、陸上競技への情熱は冷めることはありませんでした。
中学1年の春に「重症筋無力症」という難病の診断を受けている。眼瞼下垂などの症状が出たものの、「薬で安定させるようになって、突然治ったというか、特に気にすることなく生活しています」という。本人は「あまり深掘りして欲しくない」と言うが、難病を克服して、スプリンターとして活躍を続けてきた。
薬物療法で症状をコントロールしつつ、懸命に練習を重ねた空跳選手。
その努力は実を結び、中学3年生の時には驚異的な記録を打ち立てることになります。
100mで県中学新記録となる10秒75を樹立。
さらに、全国中学校陸上競技選手権大会では200mで優勝し、21秒99という記録を残しました。
難病と闘いながらこのような記録を出せたことは、空跳選手の並々ならぬ精神力と才能の証といえるでしょう。
高校生清水空跳の快進撃 日本記録更新と世界への挑戦


高校進学後の空跳選手の成長は、まさに驚異的としか言いようがありません。
星稜高等学校陸上部に所属し、さらなる高みを目指して日々練習に励みました。
高校1年生では、インターハイ100mで準優勝、10秒50という記録。
そして高校2年生の今年、空跳選手は日本陸上界に衝撃を与える記録を打ち立てたのです。
2025年7月の日本選手権では、桐生祥秀選手の高2記録(10秒19)に並ぶタイムを記録。
インターハイでは100m日本高校新記録となる10秒00(追い風1.7m)を樹立し、200mでも20秒39(追い風参考)で2冠を達成しました。
この驚異的な記録により、空跳選手は2025年9月に東京で開催される世界陸上選手権の男女混合4×400mリレー代表に選出されることになりました。
16歳という若さで世界大会に挑戦する空跳選手の今後の活躍に、大きな期待が寄せられています。
まとめ
清水空跳選手の中学から高校への驚異的な成長を振り返ってきました。
難病を克服し、中学時代から頭角を現した空跳選手は、高校入学後さらなる飛躍を遂げています。
164cmという小柄な体格ながら、天性の接地技術と上半身・下半身の連動性を活かした走りで日本記録を更新し続ける空跳選手。
16歳にして世界大会に挑戦する彼の今後の活躍に、日本中が熱い視線を送っています。



小柄でも、スピードや技術で世界に挑める、体の大きさじゃなく、ハートの大きさが勝負を決めるんですね。
清水空跳選手の成長は、努力と才能そして困難を乗り越える強い精神力が結実した結果といえるでしょう。
彼の走りが日本陸上界に新たな風を吹き込み、さらなる発展をもたらすことを心から期待しています。
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