コメ兵といえば、高級ブランド品や時計、ジュエリーなどの中古品買取・販売で知られる大手企業です。
その成長を牽引してきたのが、現在の代表取締役社長である石原卓児氏です。
石原氏の経歴と、コメ兵を急成長させた経営手腕について、詳しく見ていきましょう。
石原卓児の生い立ちと学歴

石原卓児氏は、1972年に愛知県名古屋市で生まれました。
コメ兵の創業家に生まれた石原氏ですが、幼少期から家業を継ぐことを意識していたわけではありませんでした。
高校時代はラグビーに打ち込み、3年生の時にはキャプテンを務めるほどの情熱を注いでいました。
この経験が後の経営者としての資質を育んだと言えるでしょう。
大学進学では、ラグビー発祥の地であるイギリスへの留学を選択します。
英国暁星国際大学に進学した石原氏は、新しい環境で語学力とグローバルな視点を養いました。
興味深いのは、留学費用の一部を自分で賄うため、高校卒業後1年間アルバイトで資金を貯めたという点です。
この経験が、後の経営者としての自立心と財務感覚を育てたと考えられます。
コメ兵入社から社長就任までのキャリアパス

大学卒業後、石原氏はすぐにコメ兵に入社せず、まずヨドバシカメラに就職します。
これは、接客経験を積むため、あえて3年間の期限付きで選んだキャリアパスでした。
ヨドバシカメラ新宿西口本店1階カメラ売場で働いた経験は、商売の厳しさと楽しさ、顧客との関係構築の重要性を学ぶ貴重な機会となりました。
1998年、石原氏はコメ兵に入社します。
しかし、その背景には悲しい出来事がありました。
1997年、父親である2代目社長の石原秀郎氏が57歳で急逝したのです。
コメ兵での石原氏のキャリアは、カメラ売場からスタートしました。
その後、アメカジ衣料売場、時計売場と1年おきに異動し、幅広い商品知識を習得していきます。
2003年には有楽町店(東京初出店)の店長を務め、その後新宿店店長、営業企画部長を経験。
マーケティング部門の立ち上げにも携わり、常務取締役まで上り詰めます。
そして2013年6月、石原氏は41歳の若さでコメ兵の4代目社長に就任します。
大学卒業後、ヨドバシカメラに入社し、新宿西口本店1階カメラ売場に勤務。その後、父親の急逝により、家業である株式会社コメ兵に入社。カメラ、時計、アメカジ衣料で売場経験を積み、2003年東京大型初出店である有楽町店長、新宿店店長など、立ち上げ店長を経験。コメ兵のマーケティング部門である営業企画部を立ち上げた後、代表取締役社長に就任。
引用元:グロービズ経営大学院
この頃から、コメ兵の急成長が始まったのです。
コメ兵の急成長を支えた経営戦略

石原氏が社長に就任してからのコメ兵の成長は目覚ましいものがありました。
就任時から約4倍の成長を遂げ、2024年3月期にはグループ売上高約1200億円を達成しています。
この急成長を支えた経営戦略のポイントをいくつか見ていきましょう。
- 積極的な店舗展開:国内228店舗、海外21店舗(2024年6月時点)
- 海外進出:香港、台湾、上海、タイ、シンガポールなどにも展開
- 人材戦略:個人ノルマを廃止し、チーム目標のみを設定
- クレド制度:2016年に従業員1000人のアンケートを基に作成
特筆すべきは、石原氏がMBAを取得したことです。
グロービス経営大学院でMBAを取得した理由について、石原氏は「事業承継への危機感と若手の提案を理解するため」と語っています。
優秀な若手の台頭を感じていました。一方で「若手からの提案や意見を、自らの知識不足を理由に無下にしたくない、彼らの意見や提案を理解し、経営に活かすためにも、私がしっかりと経営を学ばなくては」と考えていました。この2つのことがMBA取得の動機です。
引用元:グロービズ経営大学院
この姿勢が、伝統ある企業を新しい時代に適応させ、急成長させる原動力となったのでしょう。
まとめ
石原卓児氏の経歴は、コメ兵の成長と密接に結びついています。
ラグビー少年から始まり、海外留学、異業種での経験を経て、コメ兵の4代目社長として企業を大きく成長させました。
その成功の鍵は、幅広い経験と学びを積極的に取り入れる姿勢、そして従業員を大切にする経営哲学にあると言えるでしょう。
石原氏は現在、一般社団法人日本リユース業協会の会長も務めており、業界全体の発展にも貢献しています。
今後も、コメ兵と石原氏の更なる成長が期待されます。
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